全 国 巨石磐座 探訪記 |
石川県の 巨石 磐座 |
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所在地; 石川県鳳珠郡能登町柿生 |
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金沢から能登道路を北上し、終点の穴水町此木ICから国道 249号を北東に約25Km走ると能登町柿生に至る。 道路端に注目しながら進むと「史跡・石仏山」の道標を見 出すことができる。 国道から100mほど農道を入った所 にある森が石仏山である。 |
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農道の端に看板があり石川県指定の祭祀遺跡として石仏 山が紹介されている。 看板の要旨は以下のとおりである。 |
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1)石仏山は「お山」と呼ばれる神体山で女人禁制の聖域 である。 2)山麓には祭場があり、「前立」「唐戸」「奥立」と名 付けられた巨石が立っている。 3)「前立」は高さ約3m,巾60cmの立石で、大己貴命 (おおなむちのみこと)の依代とされる。 その奥にある「唐戸」は組石状の巨石、さらに奥に高さ 2.8mの立石が「奥立」で小彦貴命(すくなひこなの みこと)の依代とされる。 4)毎年3月初めには「お山祭り」という例祭が氏子の人た ちによって行われる。 石仏山が「山の神」「田の神」 として信仰されてきた古い形態を残した行事である。 5)この遺跡は、社殿建築が出現する以前の原始神道の形 を今にとどめているとされる。 |
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「奥立」 | 「前立」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「前立」上部 |
看板には「能都町」とあるが、近隣の鳳至郡柳田村・ |
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「能都町史・第3巻・歴史編」には祭祀遺跡としての石仏 山が16頁に亘って詳しく記述されている。 本書によれば、昭和27年から民俗学、神道考古学の分野の 専門家によって本格的に調査され、その結果を踏まえて昭和 42年に県指定史跡となった。 その後町史編纂事業の一環として一帯の測量も実施された 一連の立石の配置等を分析し、「前立」の両脇にあるやや 小さな立石を合わせて薬師三尊に見立てられるとし、「前 立」とその前の広場は、奥の院でもある「奥立」に対する 拝所であると考察している。 |
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出典;能登町ホームページ |
ここは県指定の祭祀遺跡とされるものの、毎年3月1日 から2日にかけて地区の氏子たちによって代々伝わるしき たりに従って「お山祭り」が実施される。 2日の本祭りには神職と共に氏子一行が入山し「前立」の 前で祭礼が行われる。 それは1年間の豊作を祈ると共に祖先の魂を鎮め自然に |
出典;能登町ホームページ |
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出典;能登町ホームページ |
能登町役場のウェブサイトにはこの例祭の様子が写真付き で紹介されている。「前立」なる立石の前に人々が座し神 官が行事を執り行なっている。 原始神道のシンボルとなる巨石の前に社殿が建設されて 神社となる形態は全国的に見られるが、ここは原初のまま の形を残している「生きている遺跡」として貴重なものと 言えよう。 |
出典;能登町ホームページ |
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参考文献 | 現地説明板 能登町ホームページ 能都町史第3巻歴史編 --能都町史編集専門委員会編 |
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