全 国 巨石磐座 探訪記 |
石川県の 巨石 磐座 |
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機具岩 |
志賀町は石川県能登半島のほぼ中央部にある。その沿岸部は日本海に面し、能登金剛と呼ばれる景勝地が約30kmに渡って点在する。 |
能登金剛 |
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道路沿いに建てられた大きな鳥居越しに中を見ると、草の茂るかなり広い広場があり、緩やかな勾配を登りつめた左側の高みに高さ約5mのどっしりした神体石が鳥居の向こうに鎮座している。傍らに「史跡・高瀬宮」と記された木製のポールが立っている。中心の神体石の右に高さ約2mの巨石と、さらに両者の間に高さ約1mの岩があり、それぞれ大きい順に男石、女石そして子石と呼ばれていて、「志賀町の文化財」には祭祀遺跡として、「配偶神として崇拝されてきたことが窺われる」と記載されている。 |
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「富来町史」によれば、往時は高瀬大明神と呼ばれる石神さまとして信仰されたが、社殿を設けることを忌み嫌う神で、石場をこしらえても一夜のうちに崩れていた、とか、社殿を何度建てても一夜で壊れてしまった、とかいう言い伝えが残っている。 |
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なお、言い伝えは他にもあって、「この石神さまには、ケライ筋にあたる石が四十八個ある」というが、その一つを石神さまとして崇めた伝承があるものの、それらの行方は定かではないとされている。 |
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参考文献; | 志賀町教育委員会・編「志賀町の文化財」 富来町史編纂員会・編「富来町史 通史編」 |
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