全 国 巨石磐座 探訪記 |
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茨城県の 巨石 磐座 |
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![]() 所在地;茨城県桜川市真壁町長岡 |
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関東平野の名山といえば筑波山が筆頭であろう。筑波山は万葉集にも歌われ、古代から人々に親しまれてき た。今ではケーブルカーやロープウェイが大勢の人々を山頂まで楽々と運ぶ人気の観光地となっている。 また、麓からの登山道は多くの巨石が見られるハイキングコースでもある。 深田久弥著「日本百名山」によると、高さ千メートルにも足りない通俗的な山を日本百名山のひとつに選ん だ理由は、奈良朝以前からの大衆の遊楽登山も含む、その歴史の古いことである、と言っている。 |
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筑波山から約九キロメートル北方に加波山という山がある。筑 波山、足尾山と共に筑波連山の一員であるが筑波山の派手さに 比べると、それよりも低く人知れずひっそりと存在しているか のような、神秘的な雰囲気を持つ。無論ロープウェイなどはな い。鬱蒼と草木の茂る登山道を3時間ほど登って行くと、山頂近 くの加波山神社に行き着く。そこまで車で来ることも出来なく はないが、林道は大変に悪い。 加波山の歴史も古く、神社の創建は約2千年前日本武尊の東征時 に遡る。また、後代の征夷大将軍、坂上田村麿の東征時にも当 社に戦勝を祈願されたという。 桜井徳太郎編著「山岳宗教と民間信仰の研究」によると、関東 北部に位置する加波山は、筑波山、足尾山と共に連峰を形成し 神仏混淆時代も含め、密教、修験道等に基づく信仰が根強く、 筑波山信仰に劣らぬ活発な信仰活動を展開しているという。 |
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加波山神社の境内を経て山頂を目指す。だが筑波山のような |
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そこからさらに山道を辿ると、おびただしい巨石が累々と分布 している。特筆すべきは、そのほとんどが御幣で祭祀されてい ることである。加波山神社由緒によれば、奈良・平安時代から 室町時代にかけて神仏混淆となり、その頃に七百余の神々を奉 る霊場が整えられた。加波山講によるものと思われる、おびた だしい巨石群の祭祀はそれを物語っており、霊域に入るとその 神秘の空間の凄さを感じるのである。その中でも圧倒的な存在 感をオーラの如く放っているのが三尊石である。 自分には三尊石が加波山のシンボルのように思えた。 |
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前述の文献「山岳宗教と民間信仰の研究--第四編・地方霊山信仰の成立と展開--宮本 袈裟雄」は、人々の加波山信仰の性格は、雨乞い、降雨に悩むときの天気祭り、治病祈 願、除災そして霊場修業などに大別される、と述べている。 三つに分かれた巨岩の前に立って見上げていると、これは自然に割れたのか、それとも 人によって加工されこのように立てられたのか、などという疑問は決して生じない。 三尊石の前では、その圧倒的な存在感の中に、自分自身の全てが飲み込まれて我を忘れ る。そこは異空間なのだった。そして、異空間の中に閉じ込められたかのように、その 場を離れることがなかなか出来なかった。 |
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参考文献; | 深田久弥・著「日本百名山」 加波山神社「加波山神社由緒書」 桜井徳太郎・編著「山岳宗教と民間信仰の研究--第四編 ・地方霊山信仰の成立と展開/宮本袈裟雄」 |
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