茨城県 巨石磐座 探訪記 |
たつ われ さん | 巨石 磐座 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
日立市の北北西約20kmの所に竪破山という山がある。標高658m、登山は比較的容易であるが、公共交通機関の便はよくない。山へのアクセスは車が便利で、国道から県道60号線を経て林道に入り登山口駐車場まで行く。山の特徴は、伝説由来の巨石が多く巨石見物が楽しめる。 山頂には「茨城」の地名の由来となった黒坂の命を祀った黒前神社がある。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
一方、八幡太郎義家が1087年、奥州遠征の途中黒前神社で一夜戦勝を祈ったところ黒坂の命が夢に現れ一振りの刀を授けた。その黄金作りの刀で山中の大岩を切りつけたところ真っ二つに割れ、これが太刀割石と呼ばれ、山の名もそれが転化して竪破山となったと伝えられる。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
烏帽子岩 |
登山道の途中で見られる数々の巨石はそれぞれに由来があり、八幡太郎義家がこの山に参拝したときにかぶっていた烏帽子にちなんで命名された烏帽子岩、義家が腰を下ろして休んだ畳石、竪破山の神霊が氏子に神輿をここで渡し、お神楽を奏し神楽舞をしたと伝えられる神楽石、そのほか甲石、舟石、胎内石と合わせて竪破山七石と云われている。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
神楽石 |
この山のシンボルはやはり太刀割石であろう。直径7mほどの丸みを帯びた巨岩が、いかにも大きな刀でバッサリ切られたかのように、一つは垂直に立ち、もう一片は地上にごろんと転がっている。傍らの説明板によれば、水戸藩の藩主であった水戸光圀翁がこの岩に感銘し命名したと伝えられ、以前は磐座として崇拝され、しめ縄が張られていたとのことである。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
裂石(東霧島神社) |
いつ、また何故このようになったのか真実は分からないが、刀で切られたという岩の伝説は他にもある。筆者が訪れたところでは、イザナキの命に切られた東霧島神社の裂石(九州・東霧島神社)、弁慶が真二つに割ったとされる弁慶の割り石(関東・名草)、柳生の剣士に切られたという一刀石(近畿・奈良)などが挙げられる。 だがこれらのいずれも、スケールの点で、竪破山の太刀割石には及ばない。現実的な解釈として、植物の根が岩に侵入して割れたものと見ることができる、と岡田謙二・著「巨石巡礼」に記されている。 |
弁慶の割り石(名草) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
不動石 |
竪破山は古代から神の山として崇められてきたが、時代の経過と共に仏教信仰の霊山となり、神仏が融合(神仏混交)し山頂に黒崎神社を頂く現在に至っている。時代がどのように変わろうと、時の流れを貫いて山中の巨石たちは存在を続ける。 それらは自然と人とが関わる伝説や歴史の媒体なのだ。だが現状では、人々の人気を呼ぶ観光地としての一般的な魅力に乏しいのが残念ではある。とはいうものの、2千年に渡る歴史や伝説が刻まれた山は、それだけの深みと重みとを持っている。 |
甲石 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献; |
現地説明板 |
ホーム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|