巨石と 磐座 探訪記 |
千葉県の 巨石 磐座 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海南刀切神社 |
海南刀切(かいなんなたぎり)神社という一風変わった名前の神社が、房総半島南部の、浦賀水道を臨む海の近くにある。房総フラワーラインと呼ばれる観光道路(県道257号線)の交差点を挟んで、海南刀切神社と船越鉈切(なたぎり)神社とが相対して鎮座している。 「舘山市史」には、「海南刀切神社の本殿は、高さ約10メートル、真っ二つに分かれている、異様な形の巨岩の前に建てられており、刀切の大神を祀る」、また、「船越鉈切神社の本殿は洞窟の中に建てられ、海神(わたつみのかみ)の御子、豊玉姫命を祀る」と記載されている。 |
船越鉈切神社 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海南刀切神社の巨岩は社殿の背後の部分は平らに加工してあるが、左手の方に大きく張り出し、上部が波のように頭上に湾曲していて、圧倒的な迫力がある。社殿の左手の奥に入ると、そこには原初の祭祀空間の様な雰囲気が漂っている。 巨岩は、まるで大波がそのまま岩と化したような感じを受ける。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この二つの神社は、それぞれ独立していながら、一つにまとまって崇敬されてきた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
船越鉈切神社の本殿は鉈切洞穴(なたぎりどうけつ)という縄文時代の洞窟の中に祀られている。説明板によると、洞窟の深さは約37メートルで、この中から縄文時代の土器、釣り針等原始漁業具が多量の魚の骨と共に発見された。古墳時代には一部が墓として利用され、その後は海神を祀る神社として地元漁民の信仰対象となった。 このことから、こちらを「上の宮」といったのであろうと思われる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ほかに、この神社の宝物とされる丸木舟は、竜宮から流れ着いたもので、幣束を立てて無人で漂ってきて、人々が取り囲むと高速で逃げ回り姿を消したが、翌朝幣束を立てたまま神前に供えてあった、という伝承もある。 このような伝説の数々は、巨石探索の旅をいっそう楽しくさせてくれる。 |
ホーム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献; | 現地説明板 舘山市史編さん委員会・編「舘山市史」 谷川健一・編「日本の神々」第11巻 関東 (株)白水社 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|