全 国 巨石磐座 探訪記 |
群馬県 巨石 磐座 |
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赤城山カルデラ湖 | 前橋市は赤城山南麓に位置する群馬県の県庁所在地である。市内を利根川が流れ、きれいに整った街並みを見せる。 その北方約20kmの位置に赤城山が聳え、市街地から赤城山に向かうと、最初は気付かないほど微かな道路の勾配が、山に近づくにつれて次第に急になっていく。 赤城山とは無関係に見える市街であるが、古代の火山噴火により流れ着いた巨石群が今も市内に保存されている。 |
赤城山頂 |
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その一つが産泰神社境内奥の巨石群である。産泰神社は市街地の東方ほぼ10kmの郊外に鎮座し、安産・子育ての神として木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神として祀り、市民から崇敬されている。 |
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社殿は立派なもので、パンフレットによると、本殿、拝殿、弊殿、神門など県指定文化財になっており、いずれも江戸後期の建立になる。本殿の奥には、約13万年前に赤城山の「石山なだれ」により出現した巨石群が原始古代から磐座として信仰され、この神社の起源となっている。「前橋市史」には、「南参道から拝すと、巨石の後方には赤城山を直視する。」と記載されている。西側の参道から入ったので、南側の参道を探したが見当たらない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮司さんに尋ねると、現在南参道は塞がっているとのことであった。ともあれ神社の北方には赤城山があって、そこから巨岩群がここまで流れてきたのだ。「前橋市史」は、元来は赤城信仰の神社で、赤城神社は三体の神を祀ったが、それが産泰に変化し、巨石の割れ目の胎内くぐりによって安産信仰に結びついたのであろう、と解説している。 |
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産泰神社は安産信仰を強調するためか、境内に「抜けびしゃく」という底のないひしゃくがあり、「妊婦の方が安産を願うためのもので」、このひしゃくですくった水がそのまま抜けるように「楽にお産が出来ます様にと願ったものです。」という主旨の看板がある。 また、巨石群のなかに立入禁止の「胎内くぐり」の岩があり、「妊婦がくぐれば安産になると言われております」という看板のそばに、ミニチュアの「胎内くぐり」岩が設置されていて女性が簡単にくぐれるようになっている。 |
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胎内くぐりを構成している最大の磐には注連縄が張られ、その上に石造の祠が乗っている他、小さな石灯籠や祠が数多く設置されていて、産泰神社の磐座が我々にとって身近なものに感じられる。 裏側へ回ると、多数の巨岩が折り重なっている。その景観は、境内とは全く異なり、まるで、赤城山から岩石流となってここまで来た巨石群がそのままそこにある、原初の光景そのものであるように見えた。(注;現在は裏へは立ち入り禁止になっている。) |
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参考文献; |
産泰神社パンフレット及び資料 前橋市史編さん委員会・編「前橋市史」 |
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