全 国 巨石磐座 探訪記 |
東京都の 巨石 磐座 |
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琴平神社 |
琴平神社は五日市郊外の金比羅山の頂上直下の山中に鎮座する。当社は麓の市街地にある阿伎留神社の境外末社である。この二社の関係を地図上だけで判断すると、琴平神社は阿伎留神社の奥宮あるいは元宮であるように見えるが、じつはそうではない。 阿伎留神社の主祭神は大物主神で、他に3神を祀る。創建は不詳とされるが、「日本の神々 第十一巻 関東」によれば、古文献上の初見は884年で、延喜式神名帳に記されているとの事から10世紀には存在したことになる。 |
阿伎留神社 |
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琴平神社 |
「五日市町史」には、阿伎留神社の境外末社として琴平神社が記載されており、「社伝によれば、何時のころか、五日市村の名主が讃岐の金比羅宮に参詣してその御分霊を勧請し、阿伎留神社の神主がこれを山上に鎮祭したと伝えている。庶民の金比羅参りから考えれば、江戸期以降のことと思われる。」とあり、祭神は大物主神と崇徳天皇となっている。 | 阿伎留神社 |
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明らかに、阿伎留神社が先に存在し、後代になってから琴平神社が境外末社として創建されたことになる。 五日市の市街地から金比羅山への登山道へ入る。案内板は数箇所にあるが、字が薄れているものもあって目立ちにくく注意を要する。 |
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琴平神社は頂上近くの金比羅公園の一画にある。展望台もあるが、人のいない山中の「公園」と名のつく一帯は、何となく裏寂しい。
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従って、社殿の向きだけで判断する限り、琴平神社は金比羅山もしくはこの巨岩を遥拝しているとは言い難い。 阿伎留神社の宮司さんに電話で聞いてみたところ、以下のとおりであった。 *社殿は覆屋(おおいや)であり、中にご神体として大物主神を祀っている。 *巨岩は天狗岩という磐座であるが、祭神は不明。琴平神社の祭礼時には磐座も祭祀行事を行っている。 つまり、琴平神社は社殿の中の大物主神を祀るのであって、巨岩や背後の金比羅山を遥拝するものではないということである。 |
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各地の巨石を探訪していると、巨石を祭祀する山中の聖地が先にあってそれが神社となり、後代になって里宮が造営される、というパターンが多い中で、今回はその逆であるとも云えるが、阿伎留神社造営より以前の時代から金比羅山中の巨石が崇拝されてきた可能性は大きいと言えよう。そして麓に阿伎留神社が造られ、その後、古代からの聖地であった巨岩の傍らに琴平神社が勧請され現在の姿になったのだ。 |
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写真撮影を終えて下山しようとして、もう一度巨岩を振り返った。折しも降ってきた霧雨が巨大な磐座を白くうっすらと覆い始め、薄暗い一帯には幽玄の世界が幻出していた。 |
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参考文献; | 五日市町史編さん委員会・編「五日市町史」 谷川健一・編「日本の神々 第十一巻 関東」 |
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