巨石 磐座 探訪記 |
大阪府の 巨石 磐座 |
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平石の磐船 |
磐船神社と云えば、先ず大阪府交野の神社を思い浮かべる人もいるであろう。交野の磐船神社には、ニギハヤヒ降臨神話の天の磐船とされる船形の巨岩が社殿の背後に直立している。 この地からほぼ南方方向に、大雑把な直線距離で30Km弱離れた河南町平石にも同名の磐船神社があって、全く同じ伝承が伝わっている。交野の磐船は直立しているが、平石の磐船は傾斜地の境内にほぼ水平に置かれた状態で、舳先部分が高くなっている。 |
交野の磐船 |
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大和岩雄・著「神社と古代王権祭祀」によると、「旧事本紀」の引用として、「饒速日尊、天神御祖の詔をうけて、天磐船に乗り、河内国河上哮峯に天降り坐す。・・・・・いはゆる天磐船に乗り、大虚空を翔行きて、この郷を巡りみて、天降り坐す。すなはち、「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」というは是なり。」とある。さらに、「河内河上哮峯については二説ある。・・・(一説は交野で、他の一説は)南河内郡河南町平石にある磐船神社の近くの山である。」と記載されている。この神社の背後の山のことである。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高貴寺 |
他県からここを探訪するには、西名阪自動車道の香芝ICあるいは南阪奈道路の太子ICを下りて平石地区を目指すことになる。県道704号線を少し東進し北方に進路を変えて高貴寺まで行く。そこから磐船神社まで林道を歩いて20分程の距離である。 現地の説明板には「磐船大神社 河南町平石」とあってニギハヤヒの同じ伝承を当社の由来とし、神奈備祭祀が長く続き、背後の山全体がご神体とされていることが書かれている。高貴寺の説明板の末尾には「・・・なお同地の磐船神社はもと高貴寺の鎮守であったが明治初年の神仏分離によって高貴寺から離れた」と記載されている。 |
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境内は、鳥居、拝殿、本殿が一直線に並び、それらの背後の山が哮峯といわれる。 |
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さて、大坂河内に同じ伝承を持つ二つの磐船神社がある・・・どちらが本物か? 誰しも考える命題であるようで、大和岩雄・著「神社と古代王権祭祀」では、ニギハヤヒは交野地方に関わりの深い物部氏の祖神であるという観点から、交野の磐船に信憑性がある、と述べている。そして平石の方は、舟形の巨石があることで、磐船伝承を当てはめたのであろう、と説く。 |
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持尾の磐船神社 |
この地区の地図を眺めていて、磐船神社がもう一社あることに気付いた。それは持尾という区域にあったが、鳥居と社殿があるだけの簡単な古いもので、土地の人に聞くと、ここは磐船の「御隠居さん」だと説明され、なんとなく納得してしまった。 同名の神社は福井県武生市にもあったが、その他の地域にもあるのかもしれない。 現代に生きる我々としては、ニギハヤヒの磐船伝承が二か所以上にあっても、それら全てを受け入れようではないか。 |
武生の磐船神社 |
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参考文献; |
現地説明板 大和岩雄・著「神社と古代王権祭祀」 谷川健一・編「日本の神々 第三巻・・・ 磐船神社-----大和岩雄」 |
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