全 国 巨石磐座 探訪記 |
京都府 巨石 磐座 |
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所在地;京都市山科区大宅中小路町67
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京都市山科区は、昭和の初めに宇治郡山科町から京都市に編入された。京都市の東端に位置するこの地は、平安時代には山城国宇治郡山科郷と呼ばれていた。山科区役所の南部を名神高速道路がほぼ東西に走っており、その南側は宇治市に接している。 |
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岩屋神社本殿は名神高速道のすぐ南にある。由緒によると、祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の夫婦二柱と、その皇子・饒速日命(にぎはやひのみこと)の親子三柱となっている。本社の起源は、直線距離で約500m離れた山地にある陰陽二つの巨岩にある。そこは行者ケ森と大宅奥山の山裾になり高速道路のガードをくぐると緩やかな登り勾配が続く。岩屋神社はその市街地の一画にあるが、巨石のある奥の院までは徒歩で行く。 |
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上り坂が続く市街地を抜けた所に奥の院への参道があり、急に現れたその登山道を登っていく。赤い鳥居が連続するつづら折れの参道をしばらく行くと、まず巨大な「陰岩」が赤い鳥居と共に祭祀されている。祭神は栲幡千々姫命で饒速日命の母君であるが、堂々とした巨巌である。そこから少し登りつめた所に「陽岩」が鎮座する。祭神は天忍穂耳命で饒速日命の父君である。饒速日命は岩前の祠に祀られているとしている。奥の院は又の名を岩屋殿と云う神域で、約一千百年前の創立である。 |
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交野・磐船神社 |
饒速日命(ニギハヤヒの命)は大阪府交野市の磐船神社にも祀られている。ニギハヤヒの命は高天原より天の磐船に乗って河内国の哮峯(たけるがみね)に降臨された、と伝承されている。磐船神社は、饒速日命が乗ってきた天の磐船とされる巨岩の正面に拝殿が建てられ、この巨岩を神体石として祀っている。 |
交野・磐船神社 |
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京都は伏見稲荷、鞍馬寺、貴船神社など名所・旧跡が多く、観光地として日本人だけでなく世界中の人々の人気を呼んでいる。 その一方、岩屋神社奥の院は一千年も前から、森の中でひっそりと静まり返っている。時折遠くから都会の騒音が聞こえる。陽巌の父神は家内安全、厄除け、勝運、陰巌の母神は織物と染め物、子授け、安産、皇子である饒速日命は健康、交通安全などを司るとされる。陽巌と陰巌、この二つの巨岩を通して神々と向き合ったつもりになるのも、なかなかに趣きがあるではないか。 |
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参考文献; |
現地説明板 |
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