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弥勒大磨崖仏
 

薬師石
 三重県伊賀市方面から伊賀街道(国道163号)を西進すると京都府南部の笠置町に入る。その先に通じる京都・奈良方面から来ることもできるが、国道と平行するようにして木津川が流れ、川の向かい側に笠置山が見えてくる。笠置橋を渡って街中の狭い道を徐行して進むと、すぐ左手に笠置山への入り口を見出す。急峻で曲がりくねった、さらに狭い道を登って行くとやがて笠置寺の駐車場に着く。
      標高288mの笠置山は、その頂上直下にある笠置寺によって代表され、山全体が寺の境内と云っても良いくらいの存在感を持っている。その理由は、笠置山と笠置寺を舞台とする戦乱の歴史、修験道の痕跡、弥勒信仰、等など多様な歴史的文化的背景を持つことと無関係ではない。そしてさらに、景勝地としての豊かな自然に恵まれた散策路が巨石めぐりコースになっていて、当地をいっそう魅力ある山にしている。    

 笠置寺の創建は1300年前まで遡り、その本尊は弥勒大磨崖仏であるとされる。
 縁起によると、ある皇子が(現地の説明板では、後の天武天皇となっている)狩りの途中絶壁の端で進退きわまり、もし命が救われたならばこの巌に弥勒の像を刻み奉らんと仏に祈念して、難を逃れ、目印として石の上に冠っていた笠を置いた。この故事が笠置町発祥となったという。後日皇子は、天人によって絶壁に彫られた弥勒の尊像をくっきりと見た、と伝承される。 

 これが本尊の謂れであるが、笠置寺の後継者でありここで生まれ育ったという小林義亮氏が現実世界の史実を考察している。その著書「ある山寺の歴史 笠置寺激動の1300年」において、本尊の製作年代について数種の文献を紹介しているが、弥勒大磨崖仏は「古い磐座信仰の上に仏教の外皮をかぶせたもの」で、「奈良時代末期のものと推定される」といった記述があるものの、何れも推論の域を出ないとして、弥勒信仰が盛んであった頃、時の権力者の命を受けた朝鮮半島から渡来した、石仏の加工技術を持つ帰化人によって彫られた、と考察している。弥勒信仰は、日本に亡命してきた百済人によって天智天皇に伝えられ我が国に広がった。7世紀のことである。  
 残念ながら現在の弥勒大磨崖仏は、その後光つまりオーラの形を彷彿とするくぼみがあるだけで、その姿を拝むことは出来ない。だが、高さ約16m、巾約15mという大きさは、充分に見る人を敬虔な気持ちにさせてくれる。元弘の世の14世紀、討幕を企てた後醍醐天皇をめぐる元弘の乱において、笠置山全山が焼け落ち、この本尊も消失し現在の姿となった、と歴史は語る。ここには都を逃れた後醍醐帝の行在所跡がある。  
 
 
 小林義亮氏はその著書において、笠置寺は「古くより霊の宿るとされた巨岩があって、そこに宗教的感情をもって弥勒仏が刻まれ、同時ないしその後に礼拝する堂が建築されていったとするのが、ここ笠置山を取り巻く自然の雰囲気からして順序である。」と述べている。山頂部を取り巻く散策路を辿ると、そのことがよく実感できる。
 
 
 
 山門をくぐって角を曲がって本堂への参道を進んで行くと、頭上に覆い被さるように突き出た美しい巨岩が目に入る。冒頭の写真の薬師石で、高さ12m、巾9mもあって、参詣の人々を迎えてくれる。そして本堂の前で御本尊である弥勒大磨崖仏を夢想して参拝した後、巨石めぐりコースに入る。すぐ目につくのが岩壁に刻まれた巨大な「虚空蔵磨崖仏」で、道が狭いため後に下がって真正面から見る事ができないのが残念である。説明板には、線刻の様式から、奈良時代の渡来人の作と考えられる、と書かれている。コースを進むと、千手窟、胎内くぐり、太鼓石、ゆるぎ石、平等石、蟻の戸渡り、貝吹き岩など多くの巨石群を見る事が出来る。太古の時代には巨岩を崇拝する磐座信仰があり、それが修験道に受け継がれ、そして仏教が山をカバーして現在に到っている。そういった歴史的文化的な流れを実感する事ができる笠置山なのである。

参考文献; 

 小林義亮・著「ある山寺の歴史 笠置寺激動の1300年」
笠置町教育委員会・編「笠置町と笠置山その歴史と文化--
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