全 国 巨石磐座 探訪記 |
おふくろ いし |
巨石 磐座 |
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小袋石は諏訪七石の中で最大の巨岩である。 現地の看板に記載された尺貫法のサイズを換算すると、高さ11.1m、巾7.9mとなる。 諏訪七石とは小袋石の他に下記が挙げられる。
これらの諏訪七石は、かつては神降ろし等の神事を行なった磐座であるとされている。 |
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小袋石は、諏訪大社上社本宮の北側を通る県道16号線の高部という交差点を南へ入り、火葬場へ向かう狭い道の山沿いにある。つまり諏訪大社上社本宮の東南方向にあたる。脇道を少し入ったところに看板がある。そこから山に入るとすぐに磯並社というやや大きめの祠がある。ここは磯並社祭など上社の神事が昔から行なわれてきた重要なお社である。小袋石はその背後にあることから、諏訪信仰の根源的な磐座であったと推測される。 |
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宮地直一・著「諏訪史 第二巻」には「・・・この石は原始母神の信仰に起って、各地に於ける子種石と同じく子孫の出生に関する信仰を生じ・・・」と書かれている。「おふくろいし」という呼び方と符合する。 |
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諏訪大社は諏訪市にある上社と諏訪湖対岸の下諏訪町にある下社からなり、さらに上社は本宮と前宮(茅野市)、下社は秋宮と春宮に分かれる。祭神は建御名方命とその后の八坂刀売命である。前宮の奥にある墳墓にこの二柱が鎮まるとされる。 前宮は上社本宮よりも古く、もっと遡ると諏訪大社の発祥は磯並社の周辺であったらしい。江戸時代の古図には、磯並社と小袋石の周辺に磯並、瀬大明神、神事屋、五間廊などの建物の図が小袋石とともに記載されている。(「高部の文化財」) |
磯並社 |
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古事記伝承によれば、出雲の国の大国主の命が、高天原からの使者に国譲りを迫られたとき、二人の子息、事代主命と建御名方命にその応えを委ねた。事代主命は国譲りを受け入れたが建御名方命が抵抗し、使者との力比べに敗北して諏訪まで逃れ、使者に帰順の意向を示した。それで建御名方命は諏訪大社に祀られることになる。 |
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では、それ以前の諏訪の人々は何を信仰していたのか・・・。 約一万年間続いたといわれる縄文時代には、諏訪地方にも人々の営みが連綿と続いていたと思われる。その人たちの信仰対象は日々の生活に必須な太陽や雨と風などの自然現象であった。自然を畏怖することに端を発した自然信仰は、山岳や水、巨石、樹木などを対象とし、とくに諏訪地方では、七石信仰、七木信仰となった。そしてこれらの多様な自然神は諏訪から東日本にかけて「ミシャグジ」(または「ミシャグチ」)といわれる。ミシャグジ信仰とは、非常に広範囲に渡る、捉えどころがないように思えるが、人間の生活に密接するあらゆる自然神を信仰の対象とするもの、と考えると、分かるような気がしてくる。文献には「原始信仰に関わる地主神」(「高部の文化財」)、「縄文信仰ともいえるミシャグチ神」(「磐座(いわくら)百選」)などと暫定的に定義されている。当てる漢字も「御左口」、「御社宮司」、「御射宮司」、「御作神」など多様で一定しないことから、いかに多様であるかがうかがえる。 戸矢学・著「諏訪の神」には、「硯石こそは、建御名方神以前の古き神・ミシャグジであろう。かつての諏訪人は、これを礼拝していたのだ。」とある。同様に「磐座(いわくら)百選」には「(小袋石は)はるか昔からミシャグチ神の降臨を願ってきた湖畔の巨石であり、前宮鎮座の起源ともいえる磐座ではないだろうか。」と述べられている。
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小袋石の上部は舟を繋ぎやすい形状になっている、と説明されているが、現場は木々に遮られて現認は困難であるが、先の方は細くなっている。昔は諏訪湖の水がここまでついていて舟を繋いだという言い伝えがある。諏訪湖は八ヶ岳の噴火による火砕流の影響で大きな湖となり、当時は現在の水位よりもはるかに高く小袋石の上部まであったと伝えられる。 |
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郷土誌「高部の文化財」に「機並社が上社の始まり」という項がある。本文に「磯並社は これほど重要な磯並社と小袋石ではあるが 、しかしながら、 現地周辺は木や草が生い茂り、閑散としていて、 信仰の中心であったと思われる往時の様子をイメージすることはできないまま、 帰途についた。 |
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参考文献;
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