巨石と 磐座 探訪記 |
岡山県の 巨石 磐座 |
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岩倉神社は倉敷市北部の、岡山市との境界に接した足守川の近傍に位置している。 ここからやや西寄りの北方向に、直線距離で約800mの位置に楯築遺跡がある。 倉敷市街地からは北東方向のはずれに向かうことになる。一帯は田園地帯で、その一画にこんもりとした森が、まるで島のように見える所が岩倉神社である。森の中には多くの巨石が累々と分布し、周辺の田園地帯とはがらりと景観が異なっている。中央部は盛り上がった高みになっていてそこにも巨石群があり、その前に社殿が立てられている。それらは明らかに中心になる磐座である。また、周辺の巨岩の麓に祠を祀った境内社もある。 薬師寺慎一・著「祭祀から見た古代吉備」にも同様のことが書かれている。 |
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本書の中で、薬師寺慎一氏が指摘するのは正面入り口の「立石」の重要性である。この岩の前に立って社殿の方向を見ると、正面の鳥居の奥に拝殿があり、続く本殿の奥に、隠れて見えない磐座があって、これらが一直線に並んでいる。 本書は「・・・鳥居・拝殿・本殿は後世的なものですから・・・古くは「立石」のところからイワクラに寄りつかれる神を拝んでいたと推測されます。これが古代の岩倉神社の姿です。」と述べている。 |
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たまたま居合わせた、古代史研究家たちを案内している観光タクシーの運転手さんの話では、この辺りは古代には海だったという。 |
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説明板も古代には辺りが海であった事を示唆している。その頃は、海底にこんもりとした泥砂の丘があってそこに巨大な岩石群が集積していた。・・・・・ |
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参考文献; | 現地説明板 薬師寺慎一・著「祭祀から見た古代吉備」・吉備人出版 |
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