巨石と 磐座 探訪記 |
もう一つの | 徳島県の 巨石 磐座 |
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多家良地区は徳島市の南部に位置する農村地帯である。市街地から国道55線を南下し小松島市に入って県道212号線と県道33号を経由して多家良で左折する。狭い地方道を進み金谷集会所を目指す。そこに山方比古神社(金山神社)がある。立岩神社はこの神社の末社又は境内社となっている。案内略図のとおりに、ここから道を戻り、金谷川の手前に沿った農道を北西方向に進んだT字路の先に、巨石を祀った立岩神社がある。T字路で小さな案内板が左を指示しているので少し歩くと立岩神社の階段を見出す。 |
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その先の鳥居の向こうに見事な巨岩が見えてくる。現地の看板には、「当社は日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。陽石は高さ七メートル、巾四メートルの巨岩で、基部正面に左右二個の大玉石を配し、素朴にも男性を象徴しているが通俗的信仰はなく、祭神は天津麻羅といわれている。・・・・・」 正面からは分からないが側面に周ってみると、巨岩は前方に60度ほど傾斜している。いかにも男性の象徴のように見えるが、傾斜の方向は「・・・たたら跡(金山神社内)を向いており、古代金属器の製作に名工鍛冶・天津麻羅がかかわったことを暗示している。」 説明板の最後に「・・・また、名西郡神山町鬼籠野字元山(ここから直線距離で十三キロメートル西方)には、高さ二十メートル、巾二十メートルの女性を象徴する巨岩・立岩神社が鎮座する。」とある。 |
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そういえば、かの地の巨岩の中央部には縦方向の割れ目がある。それと対になるこちらの巨大な「麻羅」、なんとも豪快な組み合わせであることか。 金山神社の説明板には「・・・・・鍛冶の神 金山毘古神を主祭神とし境内に八咫の鏡を製作した天津麻羅(立岩神社)を祀る。古来、この地に銅の製練・鋳造所があったと伝えられ、神社右脇の山が抉れた部分は古代のたたら跡といわれている。・・・・・我が国冶金技術発祥の地と推定されている。」と ある。 「徳島市史」には山方比古神社の項に、旧宮井村の氏神として権現とも呼ばれており、この地には銅や鉄の精錬所があったので鍛冶の神である金山比古神を守護神とし、御火社と崇めてきた、と記載されている。 |
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「阿波の古社めぐり」には「・・・・・周辺から出土する弥生式土器などの出土品や古墳から古代金属器の製作集団がこの地で勢力をふるっていたことがうかがわれます・・・・・」とある。また、本書の立岩神社の項で、古事記の記載のように「天津麻羅は神や命などを用いず、呼び捨てにされているところから、鍛冶師の通称のようです。」 |
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参考文献; | 現地説明板 大西雅子・著「阿波の古社めぐり」 山中康男・著「高天原は阿波だった」 児玉幸多・監修「徳島市史 第四巻 教育編・文化編」 |
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