全 国 巨石磐座 探訪記 |
藤原千方伝説の巨岩群 |
三重県 巨石 磐座 |
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往時の表現で畿内とは奈良県、京都府、大阪府地方を指すが、その畿内の東に続くのが東海道で、太平洋側の中部地方の三重県から関東の茨城県までカバーする。東海道の西部にあって畿内に隣接するのが伊賀国である。 |
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伊賀上野から国道422号を南下し、近鉄青山町駅付近で国道165号と交わる地点から県道29号に入る。さらに南下を続け、種生で県道691号にそれて県道39号に出る。さらに南下すると高尾地区に着く。保育園の角の千方窟の看板を見て左折し林道を600mほど走ると、千方窟への案内板があり、そこからは600mほど歩く。駐車場はないが、田園地帯のあぜ道のスペースを見つけてそこに駐車する。 |
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木製の鳥居をくぐると説明板があり、その先にある千方窟は、見上げるばかりの巨大な石の柱が集積された、左右に広がる岩城のような巨石群の壁である。その一角に「千方明神 若宮明神」と彫った石の祠がある。酒瓶が供えてあり、今も祭礼が行われていることが伺える。 |
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参考文献などを総合すると、以下のような説話が伝承されている。 |
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人間はこの世に生を受け、成長し社会生活を行い、そして死んでいく。圧倒的に多数の人たちは歴史等にその名を残さない。その中で、一握りの人々が歴史や伝説にその名を遺す。藤原千方が実在したのかどうかという難しい考察はさておいて、伝説として語り継がれ、千方将軍と云われて崇敬されてきた一定範囲の地域や、千方窟の存在などを実地に訪れてみると、たしかにこの世に生きていた人物であったのではないかという考えが彷彿として浮かび上がる。 |
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現地説明板 奥瀬平七郎・著「忍術の歴史」上野市観光協会・発行 青山町史編纂委員会・編纂「青山町史」青山町役場・発行 |
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