巨石と 磐座 探訪記 |
静岡県の 巨石 磐座 |
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粟ヶ岳は掛川市の北部にあり、標高は532m、山頂の北部を新東名高速道路の粟ヶ岳トンネルが通っている。 山頂のすぐ南側に阿波々神社が鎮座し、その近くの山中に多くの巨石群が磐座として祀られている。 掛川市内を走る国道1号線から県道415号へ入り、その後市道を行く。東山地区から阿波々神社駐車場までは道幅は林道のように狭くなる。 |
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阿波々神社の由緒によると、創建は天平8年(8世紀)、祭神は阿波比売命又の名を天津羽羽神(あまつははがみ)という。当地域は、かつては粟の栽培が盛んで、当神社は粟の穀霊を祀っていたようだ。現在はここに至る道中で茶畑を盛んに見かけた。 |
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無間の井戸 |
谷川健一・編「日本の神々」によると、「粟ヶ岳は、粟に象徴される穀物の神の座で、古くはその眺望範囲を信仰圏とし、畑作豊作祈願の信仰対象であったと思われる・・・のちには観音信仰と習合して信仰内容と信仰圏を広げていった。」とある。その昔、粟ヶ岳には無間山観音寺があった。この寺の鐘をつくと、現世では巨万の富を得るが来世には無間地獄へ落ちるという伝承があり、現世利益だけを願って鐘をつく多くの人々の、その音に悩まされた住職は、鐘を古井戸へ投げ込んでしまった、という。(「日本の神々」)その井戸跡が「無間の井戸」として社殿の左奥にあり、遠州七不思議「無間の鐘」と共に、今に伝承されている。 |
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さて、磐座群は阿波々神社の境内地の森の中に多数鎮座している。周遊コースの途中、社殿を仰ぐ方向に(山頂方向)に向かって石作りの鳥居があり、磐座群を参拝するようになっている。一見しただけでは、主たる磐座がどれなのか判然としないが、一帯の巨石群全てが磐座だと解して良いと思われる。ある巨石の傍らに(地獄穴)の説明看板が立ててあり、巨石の下部の割れ目が「地獄穴と呼ばれ、欲望のままに無間の鐘を突いた者達が地獄に落ちたといわれる伝説の穴(割目)で いまだその奥を知る人ぞ無しと言われています。社殿左奥の無間の井戸跡に無間の鐘を埋めたとされる伝説(遠州七不思議)があります」と書かれている。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「阿波々神社略記」によると、「社殿を中心に原生林が広がった所が、だいたい当社の境内及び社有林です。」とあり、境内の説明としてはなかなか大らかで、スケールが大きい。静岡新聞日曜版の記事をまとめた「石は語る」には、高校教諭の中村氏の話として「江戸時代の東海道名所図絵に描かれた粟ヶ岳を見ると、山頂に木はなく、石は露出しています。・・・・・ここの木はせいぜい樹齢三百年といったところでしょうか。」とある。麓から見上げた頂上直下の巨石群の景観は、どのようなものであったのだろうか。 |
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阿波々神社パンフレット「「阿波々神社略記」他 |
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