巨石と 磐座 探訪記 |
静岡県の 巨石 磐座 |
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浜松市引佐町井伊谷は静岡県の西部にあって浜名湖の北東に位置している。 |
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ここは静岡県史跡に指定された「祭祀遺跡・天白磐座遺跡」である。遺跡は昭和の末に、この地域の遺跡分布調査を行なっていた同志社大学の辰巳教授と学生たちさらに教育委員会によって発掘調査された。報告文献によると、巨石の根元から大きな土師器や陶器の破片が多量に発見され、これらが古墳時代の祭祀用のものであることが明らかになった。出土品から、磐座祭祀が古墳時代から平安中期に至る長期間にわたって行なわれた、と推察された。 |
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辰巳教授は、巨石が分布する丘陵の地勢や周辺の地理的条件に着目している。まず、麓の神宮寺川は巨大な磐座を頂く丘陵の周辺を大きく回り込むように蛇行して流れている。耳を澄ますと水音がかすかに聞こえる。 |
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辰巳和弘・著「聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡」には、 |
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渭伊神社の創始が、この磐座に起因することは首肯できる。だが渭伊神社の祭神は、玉依姫命、品陀和気命、息長足姫命の三神となっている。「引佐町史上巻」には、渭伊神社は磐座での祭祀を継承し、産土として水を祭祀対象としたとみられ、上記の三神は本来の祭神ではなかろう、と記述されている。とすれば、この磐座はやはり「遺跡」と云ってよいだろう。 |
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一方で、日本各地に分布する全ての磐座を「遺跡」と呼ぶことはできない。現在もなお信仰の対象として祭祀されている磐座が各地で見られるからだ。 このように、天白磐座遺跡に封じ込まれた古代人の願いは、日本各地の神社や巨石磐座に脈々と受け継がれている。 |
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引佐町・編集発行「引佐町史上巻」 中日新聞(平成6年6月20日夕刊) 藤本浩一・著「磐座紀行」(有)向陽書房 (株)新泉社 |
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