全 国 巨石磐座 探訪記 |
岩手県 巨石 磐座 |
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古代歴史や伝説、そして古来の信仰などを伝える巨石は大方の場合、人里離れた山野に存在する事が多い。だが一方で、人々が生活を営む市街地にこれらの巨石が保存されていることもある。
盛岡市内の代表的なものとして、三ツ石神社の三つの巨石、桜山神社の烏帽子岩そして盛岡地方裁判所の敷地内の石割桜などが挙げられる。
三ツ石神社は「岩手」の地名発祥の地と云われ、岩手県庁の北方約640mの市街地に位置している。寺町通りの東側にある東顕寺の裏手にあたる。鳥居をくぐったその奥に、高さが6mほどの巨石が三ツ、社殿の前に立ちはだかるようにどっしりと佇んでいる。境内はがらんとしていて、都会の神社にしては質素な印象を受ける。もとは一つの巨岩だったものが三つに割れたといわれ、更に割れないよう鎖で縛られている。 |
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「岩手県神社名鑑」によれば、祭神は少名彦名命及び四柱の大神、南部藩初代光行公の神霊が祀られ郷土の守護神として人々の信仰を集めた。現地の説明板には、祭神は少彦名尊と稲荷大明神とある。境内の説明板「三ツ石神社由来」の冒頭に、「「岩手」の呼び名について大和物語りによれば平城天皇の御代にみちのくの国から鷹が献上され奈良の帝はこれを岩手と名づけたとある」と書かれている。「岩手」地名の起源として三ツの巨石に纏わるのが、鬼伝説であり、むしろこちらの方が興味をそそられる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この地の伝説によると、むかし羅刹という鬼が付近の住民を悩まし、旅人を脅していた。そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕えてもらい境内の巨大な三ツ石に縛りつけた。鬼は二度と悪さをしないし、二度とこの地にはやって来ないと誓ったので、約束の印として岩に手形を押させて逃がしてやった。手形の部分には苔が生えないと云われているが、無論手の跡はよく分からない。 岩に手形を押した故事が「岩手」の県名の起源と伝えられる。また、鬼の退散を喜んだ人々は幾日も幾日も踊り、神に感謝を捧げた。これが今に伝わる「さんさ踊り」の起源と云われている。 |
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この伝説に登場する「鬼」とは実際は何者であったか、などと考えると難しくなるが、鬼を凝らしめたのは征夷大将軍として名高い坂上田村麻呂だとする伝説があるようだ。そうであるならば、懲らしめられたのが悪路王とされる蝦夷の首長ではないか、と「神々の気這い」は推論している。
この説によって伝説が現実の出来事に近づいてくるが、巨岩を縛る鎖を見つめていると、その昔、悪事を働いた「鬼」が同じように巨大な岩に縛りつけられたのだということが、いかにもありそうな話だと思えてくるのだった。 |
さんさ踊り 出典;三ツ石神社パンフ |
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