全 国 巨石磐座 探訪記 |
岩手県 巨石 磐座 |
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三ツ石神社 | 古代歴史や伝説、古代の信仰などを伝える巨石は大方の場合、人里離れた山野に存在することが多い。だが一方で、人々が生活を営む市街地にこれらの巨石が保存されていることもある。 盛岡市街地にある代表的な巨石として、三ツ石神社の三つの巨石、桜山神社の烏帽子岩そして盛岡地方裁判所の敷地内の石割桜などが挙げられる。 |
石割桜 |
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烏帽子岩は桜山神社の境内の奥にある。当社の創建は比較的新しく江戸時代中期(18世紀半ば)である。盛岡藩初代・南部信直公の遺徳を奉るため盛岡城内に神殿を建立したのが始まりとされる。当初は淡路丸大明神と呼ばれたが、のちに櫻山大明神と改称され、場所も数カ所を経由して現在地に至った。 |
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南部家は盛岡城を含め盛岡市の街作りを成し遂げ、今日の盛岡市の基礎を築いた英主としてここに奉られている。 祭神は南部家初代の光行公をはじめ歴代の盛岡藩主で、郷土守護の神々として崇敬されている。 烏帽子岩は兜岩とも呼ばれ、盛岡城築城時、掘り下げた土中から出てきたという、先端が大きく突出した巨岩である。盛岡藩二代藩主の利直公は「これはめでたい兆しである」と大いに喜び、この場所が城内の祖神の神域にあったため宝大石とされ、吉兆のシンボルとして人々に信仰され災害時などこの岩の前で平安祈願の神事が行なわれ南部藩盛岡の「お守り岩」として今日も崇拝されている。 |
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中堅ビルに匹敵するような巨大な烏帽子岩は境内の端の傾斜地に鎮座し、場所としては不安定に思えるが、岩の底辺が大きく張り出し、三段にくびれ、細くなった先端が大きく湾曲しながら張り出していて、不思議な安定感がある。 本文の冒頭で、巨石は大方の場合、人里離れた山野に存在することが多い、と述べたが、見方を変えれば、もともとは山野だったであろうこの地に人々が住み着いた結果、市街地ができた。人々はそこにあった巨石たちを大切に保存してきた、ということなのだ。 |
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