全 国 巨石磐座 探訪記 |
奈良県の 巨石 磐座 |
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奈良県の北西部を占める生駒市は、京都府と大阪府に境を接し、市域全体が生駒山地に属する。 *およそ1万年前に北方大陸系の民族がこの地に移り住み、生駒山周辺で狩猟生活を営んでいたと思われ、生駒山を故国語で「こま」と呼んでいて、後世それに接頭語「い」をつけて「いこま」となった。* という主旨が記載されている。また、この地の豪族であった長髄彦の伝承もある。 |
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生駒市街地を歩く限り、ここが山地であるとの実感はない。しかし、市街地から稲蔵神社へ近づいて行くと神社の背後は深い山がそのまま残されていることを見出す。多くの鳥居をくぐって境内に入ると本殿の横に、高さ約6m、周囲約12m(現地看板)の烏帽子岩があり、少し離れてこの磐座を取り囲むように立てられた複数の鳥居の奥に、多くの石碑で祭祀された数々の摂社があって、その背後が深い山になっている。 |
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稲蔵神社の祭神は稲蔵明神という複数の神々で、もとは、ここから約500m南方に離れた稲蔵寺の奥の院であった。小明村の人々は稲蔵明神を村の鎮守として崇めてきた歴史があり、この地の産土神となっている。それに加えて、神道各派の信者により種々の神々が奉祀されているのが、烏帽子岩を取り囲むように設置された数々の摂社であるらしい。 |
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稲蔵神社の特異な点は一時期、兵役のがれの神として多くの人々の信仰を集めたという。また、大坂方面からの信者も多く、商売繁盛などの現世利益の神として信仰されてきた。 稲蔵神社のシンボルとも云える烏帽子岩は、稲蔵の森を背にして生駒の街を見下ろしている。この巨岩に降臨する現代の稲蔵明神は、人々の生活を守る現世利益の産土神として、交通安全、家内安全、商売繁盛などを見守っているのであろうか。 |
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参考文献; |
生駒市誌編纂委員会・編「生駒市誌 資料編V」 生駒市誌編纂委員会・編「生駒市誌 資料編W」 生駒市誌編纂委員会・編「生駒市誌 (通史・地誌編)X」 |
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