全 国 巨石磐座 探訪記 |
奈良県 巨石 磐座 |
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所在地;奈良県橿原市東池尻町御厨子447 |
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橿原市は奈良県中西部に位置する、歴史の深い都市である。その市名は、神武天皇伝説に由来する。九州から渡ってきた神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)がこの地を制圧し、畝傍山東南の「橿原の宮」で神武天皇として即位し建国した、という伝承だ。現在神武天皇を祀る橿原神宮は、明治に建てられた新しいものである。 |
御厨子神社参道 |
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橿原市街地には大和三山といわれる、橿原神宮近傍の畝傍山、その北東方向の耳成山、そして東の天の香具山の三つの山がある。標高は約140mから200m弱の低山であるがその歴史は古く、この地の有力氏族祖神などが鎮まる場所として神聖視されてきた。お互いの距離が約2.4kmを底辺とし、他の2辺が約3kmの2等辺三角形をなしている。 |
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御厨子神社は天の香具山の北東約800mの地点にある。香具山の麓を走る地方道の脇道を入ってすぐの所に駐車場がある。そこから見える森の中の頂上部に御厨子神社と御厨子観音妙法寺がある。参道は別々になっているが、この両者は関係が深い。奈良時代の公家で右大臣・吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として中国に派遣され、帰国後妙法寺を建立した、と伝えられる。水尻神社と称していた御厨子神社は、御厨子八幡大神宮とその名を変え、妙法寺の鎮守とされた。つまり御厨子観音妙法寺の守護神を祀るという神仏習合の思想である。祭神は、元来根析(ねさく)神と安産霊(やすむすび)神であったが、妙法寺建立に伴って八幡大神が合祀された。 |
御厨子神社参道 |
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妙法寺 |
根析神(根裂神)はイザナギの命がその子・カグツチの神を切ったとき、その十握の剣の先から滴り落ちた血からできた神とされ、木の根を裂く威力があり、生気を授けるという。安産霊神は文字どうり安産の神である。
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御厨子神社 |
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御厨子神社境内から妙法寺へ直接通じており、境内の端の斜面を少し降りたところに目的の月輪石がある。長さ4m弱、巾1から2m弱、高さ約1.5mで、中央が割れている。祭神の根裂神にちなんで根裂石ともいう。 御厨子神社の社殿も妙法寺の建物も存在しないはるか以前の古代には、こんもりとした山中にこの巨石だけがあり、人々はこの巨岩に、子孫繁栄と生活の安泰等を託したのだろうか。 |
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参考文献 |
現地説明板 橿原市役所・発行「橿原市史 本編下巻」 橿原市観光協会・発行「橿原市散策マップ」 |
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