全 国 巨石磐座 探訪記 |
福井県の 巨石 磐座 |
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正面 |
旧武生市と今立町が合併して出来た越前市は福井県のほぼ中央部に位置し、市の中央を北陸自動車道と国道8号線が縦断し、福井市、鯖江市、敦賀市など周辺都市との交通の動脈となっている。 町はずれの芝原地区の一角にこんもりと盛り上がった小さな丘があり、その上部に飯部磐座神社が鎮座している。「吉野村史」によると、丘陵は古墳時代中期に築造された古墳であるが、詳細は不明で、様式は横穴式石室であったとされる。だが現在は周囲を巡ってみても、神社として整備されたためか、古墳と認識することはできない。 周辺は平野部で、ここだけ盛り上がっていることをいぶかしく思っていたが、古墳であれば納得がいく。 |
裏側 |
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「福井県神社誌」には、「貞観15年(873)土地の豪族伊部造豊持が近傍に採石場がなく、遠くより大磐石を運び積み重ねて磐座(神座)を造り社殿を建てた。」と書かれている。その後(1726年)失火のため旧記録は消失したという。 現地の説明版には「土地の豪族伊部造豊持氏が、氏族の磐座祭祀を行ったと伝えられている。」とある。伊部造豊持氏は、孝昭天皇の第一皇子の天足彦國押人命の子孫のようである。(越前市中央図書館レファランス;出典「国史大系 4巻 日本三代実録 巻24」) |
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楯築遺跡 |
古墳の上部にある巨石群といえば、岡山の楯築遺跡を想起するが、こちらの古墳は岡山大学の発掘調査が行われ、かなり解明されている。 だが、磐座祭祀に関連すると思われる石造りの祠はあるが楯築神社としては存在しない。巨石の配置には特異性があり、石の祠を中心にして、それぞれ形状の異なる4個の巨石が東西南北を意識して配置されていて、しかもそれらは古墳ができる以前から存在していて祭祀が行われていたのではないかと述べる文献がある。(薬師寺慎一・著「祭祀から見た古代吉備」) |
楯築遺跡 |
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一方で、飯部磐座神社は、古墳の上に巨石を運んできて積み上げて磐座を構成したという由緒があるが、古墳については詳細が不明で、現在は古墳としての痕跡は見られなくなっている。その点で楯築遺跡とは対照的である。 |
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参考文献; |
現地説明版 |
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