全 国 巨石磐座 探訪記 |
巨石 磐座 |
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所在地;山梨県山梨市下石森 |
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都市化が進む中で、古代から存在してきた自然や遺跡が運よくそのまま残されるものがある。山梨市の石森山もその一つで、山梨市八景の一つとして「石森山つつじ公園」の名で親しまれている 山というより高さ約13mの森で、山梨市駅からほど近い街中にあり、季節には3千本というつつじが咲く他に多くの巨石が分布していて、山梨岡神社の境内地でもある。神社の参道へは基幹道路から入った脇道から山に向かって入る。鳥居をくぐって朱塗りの太鼓橋を渡ると右側に多くの巨石が累々と折り重なって壮観な眺めになっている。階段を登ると山梨岡神社の社殿がある。 |
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傍らの看板には、 「社殿建築が発生する以前から「磐座」とよばれる古い石信仰の場として崇拝され、石森岡神社とも呼ばれました。本殿には熊野大権現と国建大明神が二座相殿としてまつられています」と記述されている。 「山梨市史 文化財・社寺編」には、祭神は伊弉諾尊(イザナギの命)、事解男命(ことさかおの命)、速玉男命、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、大国主命、少彦名命、と載っている。また同書には「日本武尊による創建という伝えがあり、・・・が、創建については確証を得ない。」とある。 |
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江戸時代の地誌「甲斐国志」、「甲斐叢記」などに紹介され巨石の多くに名前が付けられていた、という。看板の図にはイ、ロ、ハに始まって25個の名前のリストがある。日本武尊御腰掛石、烏帽子石、桃石、母石、屏風石・・・という具合である。ところが現場に看板などはなく、岩の名を照合するのはやや困難である。個々の名前を特定するにはじっくりと時間をかけた実地調査が必要だと思われるが、次の機会を待ちたい。教育委員会などの機関にお願いしたいところだ。 なお、笛吹市にも同名の神社があることを付記しておこう。 |
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現地説明板 |
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