全 国 巨石磐座 探訪記 |
滋賀県の 巨石 磐座 |
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所在地;滋賀県犬上郡多賀町敏満寺 |
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多賀の地は琵琶湖の東部に位置し、その東側は鈴鹿山系の連峰を隔てて岐阜県と三重県に接し、町域の大半が山あいに広がっている。北部及び西部は彦根市へと続き交通の便は良く自然環境にも恵まれている。 |
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多賀大社から真南に約2km 離れた所に青竜山という山がある。 「多賀町史」には <社伝によれば、胡宮神社は、遠く神代からの鎮座であるといわれている。古くは秀麗富士のような青竜山を神体山とあがめ、日夜礼拝したのではないかと思われる。この山の山頂近くには、大きな岩がるいるいと重なっていて、いわゆる磐座(いわくら)と呼ぶ霊場が、いまに残っている。磐座というのは、神がおいでになる神聖な場所であり、神の御座である。> |
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さて、胡宮神社を訪ねてみよう。 |
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裏参道 | 表参道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通用門の鳥居をくぐって境内に入ると、神社境内に敏満寺址を見る。 これらの文献からは、多賀大社と胡宮神社、胡宮神社と敏満寺相互の複雑な関係が垣間見える。
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敏満寺址 | 仁王門址 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
敏満寺址記念碑 | 胡宮神社拝殿 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、難しい歴史問題はさておいてさらに境内を散策すると、「胡宮神社のみ光を仰ぐ」という石碑があり、先の三柱の祭神名の後に、「悠遠な上古より青竜山のいただきにご鎮座 幸福 延命 授子 授産などあらたかなご神徳は遠近にあまねくみいずを慕って詣ずる人は今にあとをたたない。・・・」 と当社の由緒が彫られている。 さらに別の石碑「胡宮の磐座」というのがあり、 一つ;磐座 青竜山の頂上に大きな岩がある。 大昔からこの岩を磐座と呼び深く信仰して 龍宮を祭り、長寿、豊作、雨乞いの祈願を した。 ・・・・ 一つ;磐座は胡宮の奥宮であり、多賀大社の奥の院と呼んだ時代もある。 と山頂の巨岩との関係が明快に説明されている。 |
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ここまで学習した上で、頂上の磐座を目指す。目指す巨岩はじつは頂上にはなく、頂上と対をなす頂き近くに鎮座する。 |
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参考文献; | 川崎透編「多賀大社とその周辺」 淡海文化を育てる会編 「近江・山の文化史」 多賀町史編さん委員会編「多賀町史・上巻」 谷川健一編「日本の神々・第5巻・山城・近江」 |
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